多様性について

先日、久しぶりにバスでムスリムの女子高生たちを見かけた。

いや、ムスリムの人なんて見かけない日の方が珍しいのだけれども、彼女たちは目元以外すべてヒジャブで覆っているから、とても目立つし、記憶に残っていた。調べてみたら、これはニカーブというらしい。

 

たまたま母からカリフォルニアでの障害者施設銃撃のニュースについてのラインがきたところだったから、いやでもテロについて考えてしまい、そして彼女たちはどう思っているのか、ということを考えていた。通路を挟んでちょうど隣に座っていたため、チラチラと見てしまい、たいそう不気味だっただろう。

 

私は思考することをやめた大馬鹿者なのでテロについては聞きかじったことと自分の偏見をもとに見てしまう。非常によろしくないなあ、と思いつつも、忙しいということを理由に、深く調べて自分なりの意見を持つことをやめてしまった。自分は関係ない、とまだ心のどこかで思ってしまっていることも大きな要因の一つ。ニューヨークに住んでいるくせに、まだ、テロは、遠い。日本人だから関係ない、と思っているのかもしれない。そんなことは全くないのに。

 

 

また先日日本人の友人が(いわゆるアニメ漫画ゲームなどの)オタクについて偏見を含む発言をしているのを聞いて、「ああこの子はやっぱり私とは違う世界を生きているのだ」と思った。

私自身は漫画もアニメもあまり興味がないから進撃の巨人エヴァンゲリヲン以外はまともに見たことがない。おそらくその発言をした友人よりも漫画やアニメを知らない。ゲームもポケモンどうぶつの森以外はたいしてやっていない。モンハンもドラクエゼルダもやったことがない。

だけれども、そういった、世間一般にイメージされるオタクの人たちには親近感を持ってきたし、そういう人たちとは割と仲良い方だと思う。というかむしろリア充と呼ばれるようなギラついた人たちの方が苦手だ。

でもそうやって世界を二分している時点で私も彼女もテロリストもみんな一緒なのだと思う。

 

 

多様性は大切だ、と教わっても、自分と全く違う人は怖い。

未だに黒人もヒスパニックも怖いし、ついでに言うと白人も怖い。中東の人もけっこう怖い。自分と同じような顔した東アジアの人の顔を見ると少し安心する。そうやって壁が壁を呼び寄せて、そうして世界は憎しみ合うんだろうな。

そういう意味で、わたしもまた、テロリストの卵なのかもしれない。