自分の主体性のなさの話

他人の言葉はとても重く、別にそうする必要は1ミリもないのに、「そうしたら良いんじゃないか」と思えてきて、その言葉にがんじがらめにされることがある。もちろん発言してきた本人はそんなつもりは全くなく、私の思考を解きほぐすためにちょっとアドバイスしてくれたのだと分かっているのだけれども、でも、どうしても、私の中でその言葉がぐるぐるとつきまとう。

 

高校受験のとき、私は母校に行くことしか頭になかった。中学時代までは本当に成績が良かった(※英国数社理のみ、いわゆる副教科は壊滅的)ので、地域で一番の高校に入ることを当たり前だと思い、小学生のころから、「ここの高校に行く」と周りに宣言していた。それはなぜかと言うと、もちろん私が勉強以外で他人に勝てる分野がなかったことに加え、やはり母親にずっと「ここの高校に入れば良いんじゃない」と言われ続けてきたからだった。そして当の母親は地元の人間ではないため、私が生まれた頃に親戚に言われたことをずっと真に受けて子供の私に言い続けていたのだという。まさか地域で一番の学校だとは、その頃は知らなかったらしい。

 

だから、いざ高校に入り、大学受験について考えなければならなくなったとき、非常に困った。行きたい大学、したい勉強、というものが全くよくわからなかったのだと、振り返ってみるとそう感じる。

今思えば別に大学に行く必要はなかった。まず働いて、そこで勉強したいことが見つかれば大学に入る。それでも良かった。けれども両親はじめとした周囲の大人たちは私が大学に行くことを当然だと思っていたし、また高校も大学進学率ほぼ100パーセントなので、それが当たり前の道として用意されていた。海外の大学なんて選択肢も持ち合わせていなかったし、何も考えず、ただ偏差値や知名度、言葉の響きで志望校を決めた。最初の志望校は、筑波大学の国際総合学類、そして二番目が現在通う神戸大学国際文化学部だった。

そのあと東日本大震災がおこり、親から「茨城はどうなの?」と言われ、まあ確かにそれもそうだと思い、二番目だった志望校を第一志望に引き上げた。今思えば本当に馬鹿だったと思う。

それから色々見聞きし、神戸大学につきまとうチャラいイメージが気になり、大阪大学法学部国際公共政策学科、そして面白い人が多そうだからという理由で京都大学経済学部に志望校を変えた。このとき、すでに高三の初夏だった。周りの京大志望の賢い子たちは高二からずっとそこに向けて勉強していて、はるか遠くの地点にいたのに、私はというと塾で授業を受ける以外は全く勉強していなかった。

 

それでも高三は伸びる、という言葉のとおり、もし私がそれから心を入れ替えて勉強していたなら多分合格していたと思う。ターニングポイントは、夏休み、塾も休みで親も帰省やら単身赴任やらでおらず、一人で家に篭っていたときだったと思う。ずっとポケモンのゲームに明け暮れていた。罪悪感は少しはあった。けれどもそれ以上に勉強に対する意欲がなく、青チャートの簡単な問題を三題くらい解いて、あとはテレビネットゲームで一日を終わらせていた。そこでもし自分を律して勉強していたならば、おそらく私は合格していただろうと思う。それ以降、全く勉強に身が入らなくなってしまった。それでも無駄に頑固なため志望校は変えなかったし、別に浪人すれば良いやと思っていた。

当然、センターは失敗した。漢文だけはなぜか満点だったけれど、それ以外は見たこともないような点数を叩き出した。特に物理は苦手で直前に必死で詰め込んで、過去問で90点台を取れるようになっていたのに、気づいたら全国平均と変わらなかった。泣いたけれど、付け焼刃の勉強がいかにダメだったのか、それを点数として知らされただけだったと思う。

しかし、捨てる神あれば拾う神がいるのか、後期試験で今の大学にひっかかり、流れ着いた。他の大学はすべて落ちたのに、なぜか受かった。受験当日、「私はたとえ受かったとしても浪人する」と同じ高校の子に宣言していたのに、その子は落ちて、私は受かった。そして私はその言葉をやすやすと裏切り、大学入学手続きをした。うちの大学の先生は本当に見る目がないんじゃないかと思ったし、今でもそう思う。私はそれを一言、「縁」という言葉で表現するけれど、その縁に私の意思などほとんどないように感じる。もちろん、当日試験ばっくれるなりできたのに、最終的にこの大学を受けたと決めたのは私だったのだけれども。

 

ついでに言うと留学についても、「周りがみんな行きたいって言ってるし、海外で一年すごすのも楽しそうだから」「北嶋徹が影響を受けたというイギリスの地をこの目で見て、感じて、確かめたいから」という軽い理由で決めた。しかしIELTSの点数はすこぶる悪く、イギリスの大学だと応募できるところは一つしかなかった。一応応募したけれど、勉強したいことも特になかったので面接でボコボコにされて落とされた。当たり前だ。次に諦めるという選択肢も十分あったのに、なんとなくニューヨークも良いなと思っていたので、ニューヨークの、今の留学先に応募した。IELTSの点数じゃ足りなかったから、TOEFLを3週間で無理やり詰め込み、応募までに規定の点数に到達させた。本当に、今でも不思議だけれど、お尻に火がついたからこそできたことだと思う。

面接では勉強したいことを聞かれて、「メディアの勉強がしたい」と答えた。(ちなみにイギリスの大学に申し込んだときは「AIの勉強がしたい」と答えた。なんの知識も持ち合わせていないのに。)ネットで見聞きしたことに関して適当に意見を述べ、気づいたら留学が決定していた。

 

こんな感じで私は主体性を持ち合わせないまま、生きてきた気がする。自分の考えは?と聞かれても、正直よくわからないことがほとんどだ。◯◯の音楽が好き、宝塚の◯◯さんが好き、とかそういう意見はあるけれど、それは感覚に基づいたもので言葉はあとから適当に付け加えたにすぎない。考えることがひどく苦手なのだと思う。いつも同じところを行ったり来たりを繰り返すだけ。それとも、それが主体性なのかもしれないけれど。

 

これから就活、という時期。日本にいる同じ学年の友人たちは当然それに向けて動き出している。留学している人はたいてい休学、留年の道を選ぶから、帰国してすぐ就活をする私はちょっとイレギュラーな存在。まあ、この決断は最終的に自分が下したものとはいえ、親からのプレッシャーの影響をおおいに受けているのは確か。

どうせ休学したところでダラダラ過ごすことが目に見えているし、これ以上親に金かけてもらうのも忍びないので、腹くくるしかないのだけど。

 

ずっと東京の広告代理店で働きたいと思っていた。けれど、最近、いろいろと見ていくうちに、それだけが正解ではないなと思い始めてきた。もちろん、そういうことがあるというのはわかっていたけれど、主体性がないから、優柔不断だからと自ら選択肢を狭め続けていたのは非常にもったいなかったと思うので、もっと視野を広げて、考えていきたい。