ゆるすこと

ああ、ダメだ、寝ないといけないのに、電気を消して布団に入ったのに、どうしても、どうしても、書かなければならない、という気持ちに掻き立てられ、電気をつけて、ラップトップを立ち上げて、このページを開いた自分がいる。

とある人、私と同じ年に生まれた人(学年は一つ上だけど)の文章に引き込まれ、気づいたら午前2時で、「ああ、またこんな時間まで起きてしまった」と自己嫌悪して、「でも文章がとても良かったから、今日は良かったのだ、明日は早く起きて、早く寝よう」と思って、布団に入ったのに、自分の過去を思い出して、自分のことを考えて、気づいたら泣いていた。

 

私はわりとなんでもネットに書いてきた方だと思う。だけど、あとになって恥ずかしくなって、その痕跡を逐一消していく。ハンドルネームはだいたい5通りくらい持っていて、なんとなく使い分けている。最近は、「オトナだから、責任を持たないといけない」という考えのもと、結構、自分の本名、立場を背負っているけれど、ネットを始めた小学六年生のときは、「ネットで自分の素性を明かしては危ない」と思って、「大阪在住、小学六年生、女」以外のことはすべて隠していた。自分は、大阪の小学六年生の女児、何万分の一だというくらいがちょうどいいと思っていた。

けれど、ネット上で出会った人たちはみんな魅力的で、気づいたら、実際に会ったりとか、していた。私はとてもラッキーで、知り合った人はみんないい人だったけれど、今思えば、中学一年生で、よくオフ会とかしたなあ、と、思う。ツイッターミクシィフェイスブックも、その人の実際の知人、友人を通して素性を伺い知れるものなど何もなく、メールやネット上の文面だけで判断していた。

本当は生身の人間に勝るものはないことを、たぶん、そのときから、知っていたんだと思う。

 

友達なんか全然いなかったから、ネットでの人との繋がりが必要だった。

 

覚えている。私は今でも覚えている。

幼稚園のとき、生まれた時から遊んでいた幼馴染とご飯を食べようとしたら、「ミキちちゃんはお姉さんなんだから、ちょっと我慢して」と、他の子を選ばれたこと。

発表会のための踊りの練習を園長先生の前でしていたとき、一生懸命やって知らないうちに前の子と位置が入れ替わってしまっていて、私だけひどく怒られたこと。園長先生の醜い顔。これでもかと装飾品をつけた汚い指。首元。

小学校に上がったら、自分が今まで当たり前で正しいと思っていた先生の言葉に、学校の規則に背く子がいること。そのことを注意したら罵られ、誰も私の味方なんかいなかったこと。後日、その子たちがまたルールを破って先生に怒られているのを見て、一人「しめしめ」と思ったこと。

ハナイチモンメで最後まで選ばれなかったこと。あのときの学校のアスファルトの色、周りの喧騒。

小学校二年生、七歳の夏、母親と二人で風呂に入って、先に上がって洗面所で母親を待っているときに、初めて「人間はみんな孤独で、一人で生まれ、一人で死んでいく」ということに気づいたこと。「この世はひどく不完全で、確かなものなんて何一つない」ということに気づいたこと。父親はずっと働きづめで、週末にしか会えなかった時代。夜、どうしてもその事実が頭をよぎり、考えることが嫌で死にたいとずっと思っていたこと。

小学校三年生のとき、初めて特別支援学級に入る子と同じクラスになったとき。階段でその子の行動を褒めて頭を撫でていたら、「うわ、触ってる〜」と他の子から言われたこと。

 

私は誰かに認めてほしかった。ただ一言、「あなたはそのままでいい」と言ってほしかった。だけど、誰も言ってくれなかった。両親も祖父母も、私を愛してくれた(もちろん、今も深い愛を受け取っている)けれど、だれも、私の正しさを認めてはくれなかった。だから、私は、自分を押し殺して、世界の標準のようなものに、自分から近づいていくしかなかった。

 

私が自分の地元をひどく嫌っているのは、だれも私を受け入れてくれなかったから。あそこに私の居場所はないから。場所が違えば解決した問題なのかどうか、わからないけれど、私の根源的な嫌悪感は消えない。もう小学校、中学校時代の人とは誰一人として連絡を取っていない。連絡先も知らない。ああ、フェイスブックは知っている人もいるけれど、だからといってそれ以上も以下でもない。小学校のとき仲が良くてたまに遊んでいた子がすごく他人行儀な誕生日メッセージをよこしてきて、「ああ、私のこと忘れたんだ」と感じ取って、そっと友達から削除した。去年の末。

 

前の記事を書いたあと、わたしはまだ「エリートの池田さん」 でいたいのかと、恥ずかしくなった。もう私はエリートなんかじゃない。大学受験も失敗したし、おまけに留学だって第一志望には行けなかった。

良い高校に行って、良い大学に進んで、誰もが知っているような会社で働いて、高い給料をもらって、地元の人たちを見返すのが人生の成功だとずっと思って生きてきたけれど、どうやらそうでもないらしいことを知って、私はただただ無力感を感じた。わたしはずっと劣等感を抱いて生きていかなければいけないのか?地元のヤンキーたちは結婚して、子供を産んで、離婚して、また結婚して、子供を産んで、地元のコミュニティ内だけに生きて、それで幸せそうに暮らしている。一方の私はというと、アメリカにとりあえず十ヶ月の留学に来てみたけれど、英語は全く伸びないし、なにもかも中途半端で、どうしようもなくて、毎日隣の他人と比べては落ち込んでいる。

 

開き直って自己肯定ばかりの自分が嫌だし、変えなきゃと思うんだけど、うまく他人に心を開くことはできない。こうしてネットでこういう文章を書いて公開することしかできない自分がとても嫌だ。嫌だ。もっと自由に生きたい。

 

今まで恋愛することが怖かった。他人がわたしを受けいれられることなどないと思っていたから、ずっと避けてきた。気になる人ができても、それ以上に他人に近づくことが怖くて、その気持ちをずっと封じ込めてきた。その分、音楽に依存してきたのだと思う。音楽は私に対して何のアドバイスもしてくれないけれど、ただ、そばにいてくれるから、楽だ。

これから先恋愛できるようになるのか?よくわからない。恋愛する必要がそもそもあるのかどうかもわからないけれど、でも、影響されやすい私は、恋愛できないのは人間として欠落しているのではないかと思ってしまう。誰もがみんな、なにか、どこか、欠落していると、頭では理解しているつもりなのだけれども。

 

私はトラウマでできている。思い出は美化されるなんていうけれど、それは真っ赤な嘘で、私の記憶の大半は嫌だったことでできている。私は過去の自分を解放するために生きている。学生という身分を失うということに自分がとても重きを置いているのは、きっと、このタイミングでなら、生まれ変われる気がするから。

昔なら誰にも言えなかったことをこうして文章にできただけでも、大きな進歩。それでもまだ悩みはあるのだけど、それは、お金さえあれば解決することだから。たぶん。

 

気づいたら深夜三時である。五連休、最後の一日ももう三時間が過ぎてしまった。宿題はまだ終わってない。シュールレアリズムの画像をフォトショップで作るため、そのアイデアスケッチ3点提出しないといけないのだけど、どうしても思い浮かばない。こういう芸術的なことがひどく苦手なのも、私が色々なものにがんじがらめになっているからなのかな、と思ったり。それとも、ただ単に、本当に、センスがないだけなのか。

芸術に貴賎はないとはいえ、私の美術センスのなさは成績表の数字となって突きつけられてきた。そのような数字だけが私にとって自己のアイデンティティ確立のために頼りになったからこそ、こうして優劣判断にばかり目がいって、苦しくなるのかもな。

それにしても、明日早起きできるだろうか。新学期が始まってから、ほとんどの授業で自分の意思とは関係なく寝落ちてしまうから、そろそろ早寝早起きを徹底して授業中寝ないようにしたいのだけど、なかなか難しい。また夜更かししてしまった。