読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アメリカ嫌い

 私は最近よく「アメリカ嫌い」と言うのだけれど、それはドナルドトランプの過激発言パフォーマンスと同じようなもので、本当は別にアメリカのことは嫌いではなく、アメリカに来てもまだ苦しんでいる自分のこの現状が嫌なだけなのだ。いろいろな要素が「アメリカ嫌い」という言葉に集約されていくだけで。

 

日本にいたときは、とにかくアメリカに行って様々なことから解放されたい、と思っていたけれど、結局、アメリカに来ても日本での自分から抜け出すことはできず、苦しいままだ。

 

ああ、わたし、日本の学校の閉鎖的なあの感じがどうしても嫌だったのかもしれない。いじめ、というには軽すぎるかもしれないけれど、私は日本の学校で良い思いをした覚えがない。いつもスクールカーストの最下層だった。それを気に揉む性格がまた私を邪魔してきた。高校は、楽しかったのだけど。

 

就活のタイミングで自分の将来について考える今、どうしても日本で働く自分が想像できなくて、とても困っている。アメリカ嫌いなはずなのに、どうしたものか。

まあ、本当はわかっている。私は日本で働くべきじゃない。あんな閉鎖的な国で私は心地よく生きていけない。

アメリカならば平気でできることも、日本ではできない。

 

だけれど、圧倒的に、日本で生きて働く方が楽なのだ。努力しないでも、そこそこどうにかなるから。だって私には20年を過ごしたあの国の雰囲気が染み付いているから。

それに日本の演劇が好きだし、本が好きだし、音楽が好きだし、ご飯が好きだし、トイレだってお風呂だって日本の方が圧倒的に良い。家族や気の置けない友人もいる。

 

はぁぁー。せめて新卒3年は日本で頑張ろうと思っていたのだけれど。どうしたものか。

私がアメリカに染まり出しただけで、日本に帰れば帰ったでそんな違和感なにも感じずに生きていくことになるのだろうか。とりあえず今は日本企業にいくつか応募しようとしてはいるのだけれど。

 

 

自分とは違う世界に生きていると思っている人もまた人間だということを、今日、強烈に思った。ま、勝手に尊敬している人にツイッターで私のツイートをいくつかふぁぼられただけなのだけれど。

でも、その人のfacebookを見れば友達の友達だし、世界は案外狭い。私の世間が狭すぎるだけかもしれないけど。

 

インターネットのおかげで、私は簡単にすごい人をみつけられる。良い時代に生まれたと思う。インターネットのない、今よりももっと村社会の閉鎖的な社会に生まれていれば、絶対村八分にされて孤独感の中で死んでいったと思う。

 

 

スーパーチューズデイ。