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格差社会

高校時代に通っていた塾の講師が「君たちはすばらしい能力を持っているのだから、その能力を社会に還元してほしい」と言っていた。

 

その講師は、受験で精神的に不安定になりがちな高校生に対し強大な影響力を持っている人で、その様を宗教とまで揶揄されていて、わたしはなんとなくうまい距離を取れないかと常に模索していたのだけれども、この言葉だけは「その通りだ」と100パーセント同意していて、ずっと自分の頭の片隅にあった。

格差社会は解決すべき問題で、親の収入、考え方によって人生が左右されるこの現状をどうにかしたいと思ってきた。

 

けれど、だ。

 

何が格差だよ?

 

一般的に、「格差社会」という言葉は、収入の差において用いられると思う。

学歴や政治的な影響力も、わりと収入の差に相関しているし、この世の中いくら愛があったって結局は金がなければ生きていけないことは紛れもない事実だ。

 

 

でも、だからといって、収入が多い人がヒエラルキーの上に立っているかというとそうではない。どちらが良いとか悪いとか、ないような気がする。

物理的には収入が少ない人と同じ生活をできるかもしれないけれど、でも、あまりにも育ってきた背景が違いすぎて、無理なんじゃないか。

逆もまたしかりで、収入の少ない人にお金を与えても、収入の多い人みたいな生活はできないと思うし、彼らはそれに憧れを抱かないと思う。

 

小学生、中学生のとき、わたしは勉強ができる層で、将来的にもたぶん格差社会の上の方に立つのだろうな、と思っていたけれど、でも、マイルドヤンキー予備軍たちはそのような私の持つ将来の可能性に対して、全くもって憧れている様子はなかった。

というか、ただ勉強ができるだけだった私は、学内ヒエラルキーでは明らかに一番下にいた。

 

住む世界が、あまりにも違いすぎる。

よくないこととは思うのだけど。