弾丸帰省雑感、コンビニ人間

この土日を利用して、一泊二日で熊本に弾丸帰省してきた。車で。

よくもまあ、一泊二日しかないのに車で行くなんて、アホみたいなことを成し遂げたものだと思う。一切運転していない私ですら疲れがハンパないのに、往路の半分、復路全てを運転しきった父の疲労はいかばかりか。もう歳も歳なのに。

 

復路は父と二人だったので特に話すこともなく、太陽の光が届くうちは「コンビニ人間」を読んでいたのだが、主人公の古倉恵子と、主要キャストの白羽の二人が世間にうまく迎合できずにいる姿に自分が重なって、なんともリアルだった。

別にスコップで人を叩いたり、家賃を滞納したことはないけれど、古倉恵子のように、あらかじめ決められたシステムの一部でいるとき、私は自分の能力が最大化されているように感じる。

 

考えないことは圧倒的に楽で、唯一、マニュアルに従っているとき、私は無心でいられる。けれども、それはAIでもできることで、私が人間でいる意味がなくなってしまう。だからこそ、たまに破壊衝動にかられ、すべてをゼロにしたくなるのかもしれない。

 

性欲とか、恋愛欲とかが、他の人に比べるととても少ないので、私は自分がどこか欠落しているように感じることが多々ある。総じて他人と関係を構築することがヘタクソで、私の劣等感の99パーセントはここに起因する。

 

古倉恵子はコンビニのマニュアルに従うことはできるのに、恋愛、結婚、出産すべきだという社会のマニュアルには従えない。それはなぜだろう。

明文化されているか否か、他人に手取り足取り教えてもらえるか否か、ということかなと思ったけれど、文章からは、彼女にとってコンビニという場所が唯一の社会との接点であり、また同時に彼女はコンビニという生命体の一部に組み込まれることを運命づけられているのかなとも汲み取れた。

また、彼女が初めて社会とうまく関われた場所がコンビニで、その成功体験から抜け出せないのかもしれない。これは気持ちがよくわかる。私もまた、期待されたことに対して、過剰なまでに対応するところがある。私は吝嗇なので、相手からの見返りがないとすぐやめちゃうけどね。

 

 

今回の帰省で、祖母が想像以上に老いていて、ショックだった。

話には聞いていたし実際に写真で見ていたけれど、いざ目の前に現れると、ああこの人は確実に、死に近づいているのだとわかった。私の中では未だに、しゃんとして歩いて、病気になっても海外旅行にバリバリ出かけ、バンバン買い物する祖母がいるのだけれども、目の前の祖母は八十も過ぎて海外どころか近所のスーパーにすら出かけられず、一日中ほぼ寝たきりでラジオを聴いていた。変わらないのはお喋り好きというところくらいで、私が幼い頃の話をして、涙を流していた。祖母の涙を見たのは初めてだった。

 

祖母の姿を見ると、ああ生きている間に子供を産んで顔を見せてやりたい、と思う。結局良い学校に通って名の知れた会社で働くよりも、それが一番祖父母を喜ばせることだと思うから。それは私のなけなしの女らしい部分なのかもしれないし、アセクシャルだという自覚を持てない一番の理由だったりする。

親や祖父母のために子供を、なんて時代錯誤甚だしいけれど、でも、それでも、私は、結婚して子供がほしいんだよなぁ。そのために、ちゃんと、美人になろうと思う。